2008-07-06
イングリッド・バーグマン
イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman、1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ハリウッドで活躍したスウェーデン出身の女優。スウェーデンでは、「ベルイマン」と発音される。スウェーデン語、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語に堪能だった。
生涯
ストックホルムにて、スウェーデン人の父親と、ドイツ人の母親の元に生まれる。バーグマンが3歳の時に母親が、13歳の時には父親が亡くなり、叔母の家に引き取られることになる。17歳の時にスウェーデンの王立演技学校(Royal Dramatic Theatre)のオーディションに合格し演技を学ぶようになるが、すぐにエキストラや端役として映画に出演するようになる。1936年には『間奏曲』に主演。1937年(21歳のとき)、Petter Lindström (歯科医・医師)と結婚し、翌年に娘ピア・リンドストローム(女優)を出産。
その後、『間奏曲』を見たハリウッドのプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに招かれて渡米して、同作品のリメイクである『別離』(1939年)に主演した。1942年の『カサブランカ』で一躍スターになり、1944年の『ガス燈』でアカデミー主演女優賞を獲得した。
女優として頂点を極めたかに見えたが、イタリアの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督の作品を見て感動し、すぐさま手紙を送って仕事と家庭を捨て同監督の元に走り、彼の映画に出演する。その結果、当時の世論から不倫を激しく非難され、ハリウッドから実質的に追放された。娘のピアとも何年も会わず、親子の確執があったが、後に和解。
やがて世論もやわらいだので、ようやく1956年の『追想』に出演して、二度目のアカデミー主演女優賞を受賞。1974年の『オリエント急行殺人事件』では同助演女優賞を受賞し、生涯に3回オスカーを獲得している。ハリウッドを追放されていた時期も、復帰してハリウッドに戻ってきた時も、変わらず友情を保ってくれたのは俳優のケーリー・グラント只一人だったという。
ノーベル文学賞作家のヘミングウェイの著書で1930年代後半に起きたスペイン内戦を描いた『誰が為に鐘は鳴る』の映画化(1943年)では、『別離』を観た原作者が自ら主人公のマリア役としてバーグマンを指名した。
知性を感じさせる美貌(芸能界では当たり前といわれた美容整形を拒否した)と情熱的な演技で人気を博す。名実ともに20世紀を代表する大女優のひとりである。なお、円熟期に出演できなかったのは、世間が当時の価値観で不倫を非難したからである。彼女の美貌や演技が衰えたからだと推測するのは妥当ではない。
ロベルト・ロッセリーニとの間で作成された映画は興行的に失敗した。映画界から追放されたあと、夫婦の生活は経済的にも実質的にも破綻して、やがて夫婦は離婚に至った。結婚中に生まれた双子の娘の一人、イザベラ・ロッセリーニは母をしのばせる女優である。
1982年に癌のため67歳で死去。生没同日だった。彼女の墓には、「彼女は生の最後まで演技をした」と書かれている。 AFI(米国映画協会)選定の「最も偉大な女優50人」第4位。
名言
「富と名声に、成功を見出したことはない。私にとっての成功は、才能と情熱の中にあるの。」
「私の後悔することは、やらなかったことであり、できなかったことではない」
評言
バーグマンに「イングリッド、たかが映画じゃないか」という言葉を発したヒッチコックはバーグマンの女優根性を「彼女は傑作にしか出たがらない女優なんだ」と評した(フランソワ・トリュフォー『映画術』)
雑誌
同じく1982年に亡くなったグレース・ケリーと共に2007年に没後25周年記念で特集された。
以上、ウィキペディアより抜粋。


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