2008-11-05
小室哲哉
小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本の東京都府中市出身の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ、アーティスト。尚美学園大学芸術情報学部の教授でもある。妻はglobeのボーカルのkco。 愛称は「先生」「てっちゃん」「テツ」「コム」「TK」など。略歴
小学生時代
音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている[11][12]。日本万国博覧会でシンセサイザー・冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。
中学生時代
独断で家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを売り当時16万以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。この頃に「TM NETWORK」の4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型を作曲したという。
高校生時代
早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという[13]。
大学生時代
早稲田大学に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。
第一全盛期
1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。
自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。
1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。
第二全盛期
1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、tohko、鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞[14]。1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した[14]。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1500万枚以上を記録した[15]。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった[15]。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWSを設立した[15]。1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛けたなどした[15]。
2000年以降
しかし1999年からCDの売り上げが急降下[15]。似たような曲が続きファン離れが急速に進んだ[16]。活動の幅を広げるため2001年に吉本興業と契約を結んだものの、低迷は続いたままとなった[15]。2002年には2001年に結婚していたASAMIと離婚、約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという[15][17]。またASAMIと離婚直後の2002年11月にKeikoと再婚した[15]。この頃から所有していた別荘、株、高級乗用車、クルーザーなどの資産売却を行うようになった[15]。2004年には約70億円の損失を出し海外事業から撤退した[15]。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった[17]。2008年11月1日にNACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と語っていた[18]。
5億円詐欺容疑による逮捕
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2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った[19]。しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている[19])されており、小室には著作権がなかった[19]。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴[19]。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった[19]。このため男性は地方検察庁に刑事告訴を行った[19]。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日に小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した[20]。
バイオグラフィ
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早稲田実業学校時代より複数のバンドで活動。
1974年
ニューミュージックのアマチュアバンド「哀婉」で活動。
1975年
プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。
あのねのね、白竜、原田真二、角松敏生、パンタ等のバックバンドを経験。
1980年
SPEEDWAYに参加。
月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。
2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。
1983年
バンドを結成しては解散する時期を送る。(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等[13])
安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。
ミス・オレンジショックをプロデュース。
SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意。
村田バンドに参加。
宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成。リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。
1984年
4月21日にTM NETWORKがアルバム『RAINBOW RAINBOW』とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
7月に大江千里「ロマンス」の編曲。
11月に大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)
1985年
アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
1986年
渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。
精力的にライブをこなす。
1987年
TM NETWORKのアルバム『Self Control』、シングル「Get Wild」がヒット。
ロサンゼルスでアルバム『humansystem』をレコーディング。
Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。
1988年
角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
単身渡英し、アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』の楽曲制作を開始。
アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。
1989年
2月、デュラン・デュランの東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。
続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。
アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。
シンクラヴィアを本格的に使い始めた。
1990年
当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
オリジナルアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリース
TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。
1991年
「SPACE WORLD」で「Think Of Earth」を披露。
X JAPANのYOSHIKIと「V2」を結成。
V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
avex traxとライセンス契約を結ぶ。
自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。
1992年
提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
初の全面プロデュースユニットとしてtrf(Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
trfが横浜ベイサイドクラブなどでイベント。小室哲哉がtrfとしてステージに参加したのは、1993年の「avex rave '93」まで。
大谷香奈子と離婚。
1993年
trfがシングル「GOING 2 DANCE」でデビュー。
2ndシングル「EZ DO DANCE」で、洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
1994年
TMN"終了"。
小室の個人事務所「TK state」を設立、2000年まで活動。
海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」の音楽監督(鳥山雄司と共同)・主題歌制作を担当。
篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさと せつなさと 心強さと」で初のシングル売上200万枚突破。
hitomi、大谷健吾、ANISSのプロデュースも同時期に開始した。
trfのアルバム『WORLD GROOVE』から民族音楽への関心を示す。
trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。
1995年
1月、幕張メッセでライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。
trf、内田有紀、マーク・パンサー、MOON TRAP、伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。
ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。
「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
フジテレビドラマ「ひとりにしないで」の音楽を久保こーじと共同で担当。
マーク・パンサー、KEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
8月、「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエア・大阪万博記念公園に計6万人を動員する。
trfの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」で日本レコード大賞を受賞。
自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。
華原朋美、H.A.N.D.をデビューさせる。(1996年にはdosがORUMOKからデビュー)。
公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。
1996年
globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で日本レコード大賞受賞。
4月に嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。その五ヵ月後の9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
1月より「Planet TK」でNTTの音楽圧縮技術「TwinVQ」を用いた実験。
カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
11月、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を行う。
12月、小室哲哉とルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRingをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
大晦日23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が行われた。
1997年
4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
台湾で初の海外ツアー「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を行う。
7月、アニメーション映画「エルマーの冒険」の音楽監修を務める。
20世紀フォックス配給映画「スピード2」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
中日邦交正常化25周年記念公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」を行う。
DJ DRAGONとプロデュースユニット『tatsumaki』を結成。後に鈴木あみ、BALANCe等に関わっていく。
安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、レコード大賞を受賞。
1998年
ニューヨークでインディーズレーベル「TRUE KiSS DiSC」(1999年正式に設置)を始動。
元dosの吉田麻美とともに「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成。
鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
SEIKOと共同で腕時計「frequency」を開発する。
globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」でレコード大賞を受賞。
香港の返還1周年記念式典に参加。
香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。
中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factoryorumok」を設立。
「YAMAHA EOS SOUND CONTEST98」の審査委員長を務める。
トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」。
日本テレビ系列ドラマP.A.のサウンドトラックを担当。
1999年
1月末、華原と破局する。
TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
TRUE KiSS DESTiNATiONがTOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
TLCのLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
2000年
国際麻薬統制委員会を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。
個人レーベル「Tatsumaki Records」を設立。
アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。
RojamからはZoieとCELINA。
factory ORUMOKからは坂口実央、MIYUKI、清水まなぶ、ステレオリキッドなどがデビュー。
ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
11月、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
大晦日から元旦にかけて沖縄県・宜野湾海浜公園トロピカルビーチで「Rendez-vous in Space 2001」が開かれた。
2001年
factory ORUMOKから撤退、5月、吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。
同日Kiss DestinationのASAMI(吉田麻美)と再婚。
DJ DRAGON、原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。
Rojamのレコード販売事業は縮小。
吉本興業により設立されたR and C(後にRojamの完全子会社となる)へ移籍。
SAMプロデュースクラブ・イベント「zento」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
9月、フジテレビ単発テレビドラマ「プラトニック・セックス」の音楽監督を担当(橋本慎と共同)。
10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽監督(多田彰文、松尾早人と共同)を担当。
2002年
トランス・イベント「TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE」を主催。
中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)」の音楽監督・主題歌制作を担当。
3月に吉田麻美と離婚。
11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANのYOSHIKIが加入した。
2003年
4月より3年間「キャットミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「ゾイドフューザーズ」の音楽監督を担当。
新型肺炎や鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。
globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。
2004年
Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
個人スタジオ兼イベント運営会社として「Tribal Kicks」を新たに設立。
サッカーJリーグの大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
日中国交正常化30周年記念NHKドラマ「世紀末の晩鐘」の音楽監督を担当。
11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
大晦日、BLACK JAXXと共に六本木ヒルズ52FにてカウントダウンLIVEを行う。
2005年
クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
avexの手掛ける高音質ネット配信の研究プロジェクト「HD Sound Lab.」のアドバイザーに就任。
「@MUSIC HD」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
12月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。
2006年
ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。
DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
3月、エプソン品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行った。「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
10月には米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Head On Collision』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。
2007年
Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜」をリリース。
11月2日・11月3日、楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
11月8日 - 11日、秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。
12月、同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
大晦日から元旦にかけて大宝寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を行う(この模様はYouTubeで公式配信された。)
2008年
2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
6月、江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
11月4日、兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される[20]。
音楽性
テクノ・ファンク・ユーロビート・ジャングル・ハウス・トランス・アンビエント・HIP HOP・R&B・レイヴ・ハードロック・プログレ、果てはクラシック・フォーク・AOR・ラテン・ワールドミュージック・純邦楽・演歌など、幅広い曲調を使い分け、かつ複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・J-POPの立役者として知られる。
大きな特徴として「唐突な転調」があるが、(例:Aメロ或いはサビに入る部分など)それを多用するようになったのは、TM NETWORKのファーストアルバム「RAINBOW RAINBOW」のレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している[21]。
※「TMサウンドとTMサウンドを形作ったシンセサイザーとの関わり」も参照されたし。(TM NETWORKを参照)
人物
本人について
早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。
かなりの偏食であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが降ちてきて、それがトラウマになった為と言われる[11]。それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登と宇都宮隆である[22]。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。
またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと[23]。
ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。
大のフェラーリファンとしても有名。色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。
漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し[24]、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している[25]。また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという[26]。そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており[27]、自身のブログでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った[28]。
小室が趣味でITunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る[29]。
仕事について
楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORK、globe、GABALLなどのユニットの一員としても活動する。
雛形あきこから歌手デビューにあたってプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。
華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った[30]。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任している。担当授業は音楽特論(新世紀音楽概論)。
自宅スタジオでのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている[27]。
他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと[31]。
レコーディングの際のみ、ソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」として使用していない。音自体はハードウェア・シンセサイザーで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Toolsなどでエディットしてゆく形を好んでいる[21]。
常に楽曲は100曲のストックを持っている。しかし、小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという[32]。
レコーディングにおいては、特にトラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気に拘りを見せる。また、短いサイクルでレコーディングスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う」「もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている[27]。
作詞では、「CAN YOU CELEBRATE?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘がある[33]が、小室は「サウンドにハマる言葉を選んでいた」と発言した[34]。作詞において特に影響を受けたのは渡辺美里との仕事であるという。「彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」[35]とのこと。
小室は90年代を振り返り「4日に1曲作っていた」「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった」「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」と称している[36]。
自らの固定ファンを「15万個の消しゴム」とたとえ(この言葉は1991年頃、松浦勝人が「TMの楽曲をユーロビートにしたらどうだろう」と持ちかけたときに「楽曲がファン以外に広がらない」という危惧・諦めから生まれたという)、その固定ファンからどうしたら大衆に広がるかを試行錯誤していた[13]。しかし最近は「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」と心境の変化を語った[37]。
人間関係
TRFのメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、YU-KIには更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もするベンツをプレゼントした。
業界ではYOSHIKIの数少ない頭の上がらない人として有名で、彼と小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている[27]。
以上、ウィキペディアより抜粋。


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