2008-11-18
綿貫民輔
綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年4月30日 - )は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(13期)。国民新党代表。禁煙推進議員連盟会長。昭和聖徳記念財団会長。慶應義塾大学出身。学位は経済学士。神職としての階位は浄階。平成研究会(小渕派、現・津島派)会長、自由民主党幹事長、衆議院議長(第70代)などを歴任。2007年現在、現職衆議院議員では2番目の高齢である(最高齢は中山太郎)。
自民党の重鎮であったが、郵政民営化関連法案を巡る党内抗争の結果、離党し国民新党を結成した。長男は、郵便局の業務を多数請け負っているトナミ運輸社長の綿貫勝介。
概要
経営者として
富山県東砺波郡井波町(現・南砺市)に父・綿貫佐民と母・かずの間に長男として生まれる。父は楠木正成の系譜を引く兵庫県淡路島の南家出身であり母が井波八幡宮の宮司をつとめる綿貫家の出身である。
旧制砺波中学校(現・富山県立砺波高等学校)を4年修了した後、藤原工業大学(現・慶應義塾大学理工学部)に入学、慶應義塾大学経済学部卒。鐘ヶ淵紡績(のちのカネボウ)入社。
1955年に28歳の若さで家業である砺波運輸(現・トナミ運輸)社長に就任。瀕死と言われた砺波運輸を立て直し、上場企業へ昇格させるなど経営手腕を発揮。
1974年に、カルテルを内部告発した社員串岡弘昭に対し、報復人事として仕事らしい仕事を与えず、32年間、空き地の草むしりを主な業務として命じた。
政界へ
1959年、富山県議会議員選挙に2度目の挑戦で初当選する。1969年には第32回衆議院議員総選挙に旧富山2区から自民党公認で出馬し、初当選。以後、連続当選13回。
衆議院議員当選後、当初は川島派→椎名派に所属。1973年には青嵐会の結成メンバーに名を連ねるが、会合には一度も出席せずに脱退した。
椎名派消滅後は田中派→竹下派→小渕派→橋本派に移り、国土庁長官、建設大臣、自民党幹事長など要職を歴任。
自民党職員だった奥島貞雄はその著書の中で、幹事長在任中の綿貫が「どうも近頃景気が少しおかしくなってきてるんではないか。」と述べ、後のバブル崩壊を予言していたとしている。綿貫は景気悪化の根拠に「貨物の動きが鈍ってきている」と会社経営の経験を挙げていたと言う。
竹下派分裂時、竹下登・小渕恵三らとも、羽田孜・小沢一郎らとも良好な関係にあった綿貫は、両派の間で板ばさみとなった。やがて同期当選組が多く参加していた羽田派の方へと傾くが、結局参加を見送り、小渕派へも参加せず無派閥を選択。羽田派が離党後に小渕派に入会している。
1998年7月、小渕の総理就任に伴い、空席となった平成研究会(小渕派)会長に就任し、派内のまとめ役に徹した。
2000年7月、第70代衆議院議長に就任。2000年11月20日に議長として全ての者を沈黙させる号鈴を鳴らす。号鈴を鳴らしたのは1946年6月21日の樋貝詮三衆議院議長以来54年ぶり。
2002年12月10日、議事進行原稿を一気に2枚めくったために、2000年度の決算採決という議題がまだ残っているにも関わらず散会宣言を行った。宣言直後に散会の無効を宣言したが、散会宣言は有効とされた。結局、決算採決は12日に行われた。
小泉自民党との決別
自民党内で郵政族を中心に衆参両議院約200人が参加する「郵政事業懇談会」の会長として、小泉純一郎総理が唱える郵政民営化反対の急先鋒となった。2005年7月、衆院における郵政民営化関連法案の議決に際しては反対票を投じ、その後、第44回衆議院議員総選挙における党執行部の報復的な党公認拒否に対して反発、亀井静香とともに「国民新党」を旗揚げして代表に就任した。首班指名後、記者団の「誰に投票したか?」の問いに「…綿貫民輔。エヘッ!」と答えた。ちなみに、現在は長男が社長を務めるトナミ運輸は郵便事業(旧日本郵政公社)が「ゆうパック」で提携している民間物流事業者の一つである。
また、富山県で代々井波八幡宮(南砺市井波)の宮司を務める名門家の出身で、自身も現職の神職である。神道政治連盟国会議員懇談会会長も務めており、2004年には神道に功績のあった神職に贈られる「長老」の号を神社本庁より受けている。
国民的知名度は最近になるまで低かったが、政界ではまとめ役として頼りにされてきた。新党結成後も自民党の議員と連絡を取り合っており、選挙後には自民非公認組を糾合した統一会派構想し、造反色が強い棄権組なども参加させようとした。しかし、選挙後で統一会派に参加した自民党非公認組は野呂田芳成だけであった(また、2006年12月には郵政造反組復党問題で衆議院の造反議員11人が自民党復党している)。国民新党結成に伴い、自民党に離党届を出していたが、10月21日、自民党は届けを受理せず、綿貫を除名した。
小選挙区制の導入後、選挙区での史上最高得票による当選を達成するなど、選挙に強い政治家でもある。2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では自身が小選挙区で当選するとともに、富山県第3区内の比例代表得票で国民新党を第二党に導いた。ただ、当該選挙では小選挙区において自民党公認の萩山教嚴に比例復活を許し、史上最高得票の記録も小泉純一郎に塗り替えられた。
2006年3月24日、堀江メール問題において、懲罰委員会で質問席に立つ。衆議院議長を経験した重鎮議員が質問席に立ったことが異例なこととして注目された。
2007年7月29日投開票された第21回参議院議員通常選挙に於いて国民新党代表としてCMに出演、中でも亀井静香と共演して川内康範作曲の「お母さん」を熱唱したCMが話題を集めた。富山県選挙区では、告示日間際になって無所属の森田高の支援を決定し、自ら応援演説を行うなど、森田当選の要因となった。
以上、ウィキペディアより抜粋。


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