2008-12-03
三浦大輔
これは「やっくん(薬丸裕英)」ではない。〜★〜★〜★〜
三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
橿原中学校卒。高田商高校から1991年ドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。1995年から先発ローテーションに加わる。1997年10勝、1998年には12勝をあげ日本一に貢献したチームのエース。2004年アテネオリンピックの日本代表として銅メダルを獲得。武器は制球力と多彩な変化球で、かつてはスローカーブが特徴であったが、近年はカットボール、フォークであり、2005年にはシュートも会得。豊富なスタミナの持ち主で完投能力も高い。二段モーションの先駆け、代表格であるため、2006年以降の二段モーション禁止に大きな影響を受けたと思われる(ちなみにメジャーの審判、またメジャーで活躍する大塚晶則から見れば、三浦の投球フォームは何ら問題はないらしい。)。
福原忍(阪神タイガース)や藤井秀悟(北海道日本ハムファイターズ)、黒田博樹(ロサンゼルス・ドジャース)らと同様、試合を作っても援護点に恵まれない投手としても有名である。2005年シーズンにおいて、横浜の7つの引き分け試合のうち5試合は三浦が先発登板した試合であり、その中には互いが完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けてしまうという試合(4月15日広島戦、相手投手は黒田)もあった。また、7回を2失点以内に抑えて勝てなかった試合が9試合もあった。またどれだけ援護に恵まれずわずかな失点で試合に負けても、ほぼ必ず「打たれた自分が悪いんです。」と言い、決して人のせいにしないことから、彼を高く評価する人間は横浜ファンだけにとどまらない。
元々は阪神ファン。特に阪神戦と広島戦には相性が非常に良いが、本人曰く「気持ちはいつもと変わらない」と言っている。その一方で、巨人戦やヤクルト戦には通算成績でも負け数が勝ち数を上回っており、相性が良くない。
開幕戦未勝利
三浦は2008年時点で6回も開幕投手の栄誉に授かっているが、0勝6敗と未勝利である。とはいえ、2006年を除けばどの試合もそれなりに好投しており不運の賜物との見方がある一方、開幕戦は通例両球団のエースと呼ばれる投手が登板するため、相手投手に力負けした結果でしかないという厳しい見方もある。
1999年 - 横浜スタジアムのヤクルト戦(相手投手:石井一久) 6回まで1-1の同点から7回に力尽きる。しかもこの年は開幕から6連敗を経験して、14試合目の登板で初勝利だった。さらに2ケタ勝利を逃し(9勝止まり)、トレードマークのリーゼントを切りスポーツ刈りにした。
2002年 - 広島市民球場の広島戦(佐々岡真司) 8回途中を2失点と好投するも援護に恵まれず。
2004年 - 明治神宮野球場のヤクルト戦(ジェイソン・ベバリン)7回を3本のソロ被弾で3失点、援護を得られず。
2005年 - ナゴヤドームの中日戦(川上憲伸) 0-0で迎えた9回裏、アレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を打たれる。この時は8回まで0点に抑えながら味方の援護がなかったことに加えて、9回裏に先頭の立浪和義を平凡なレフトフライに打ち取ったものを鈴木尚典が捕球できず後逸(記録は三塁打)、満塁策を取った挙げ句に本塁打を打たれたものであり、開幕戦における不運の象徴的な試合となった。
2006年 - 東京ドームの巨人戦(上原浩治) 初回に4失点、3回にも2失点し、4回を6失点でノックアウト。
2007年 - 横浜スタジアムの巨人戦(内海哲也) 高橋由伸にセ・リーグ初の開幕戦初球先頭打者本塁打を許すなど、逆風が吹き荒れる天候にも関わらず6回を3本のソロ被弾で3失点。
エピソード
エルヴィス・プレスリーにあこがれて始めたリーゼントスタイルの髪型から「ハマの番長」のニックネームを持つ。しかし、本人は不良というわけではなく、礼儀正しくまじめな性格であり、初めの頃はあまりこのニックネームを快く思っていなかった。
自著によると若手時代でのキャンプの帰り、スポーツ新聞のカメラマンに「バイクに跨ってくれ」とお願いされた。三浦は言われるままに宿舎前に置いてあったバイクに跨り、カメラマンの撮影に応じたが、翌日の新聞に「昔はバイクで140キロ出していました。今は投げて140キロ出せます」と銘打たれた三浦の写真が掲載された。この写真を見て激怒した三浦は球団広報を通じて新聞社に抗議した。ところが番長のニックネームは着々と定着し、ある日の試合で横浜ファンの小さな女の子に「ばんちょー」と声をかけられてたのを契機に番長のニックネームを受け入れる決心がついたとのこと。
登板日の朝に5分でセットする。
ちなみに「番長」のニックネームの元祖は、チームの先輩であり、福岡ダイエーホークスでも活躍した山崎賢一。
ベイスターズの実質的な番長は佐伯貴弘である。詳細は佐伯の項参照。
肝機能障害の持病をもっているため、夏場は大きく調子を崩してしまうことが多かった。このことは99年以降ベイスターズファンには(勿論三浦本人にとっても)嬉しくない「風物詩」でもあったが、2005年はシーズンを通じて活躍し、投球回214 2/3、防御率2.52、奪三振177、被安打率.215などの成績はリーグトップだった。
本人曰く、NANDA!?では西本聖が「シュートを覚えれば2桁はいける」というのを放送で見て以来シュートを覚えるようになり、2005年は2001年以来となる2桁勝利を果たした。
幼少期は大阪の玉造で過ごし、実家の花屋の配達で元・阪神タイガース監督の岡田彰布宅を訪れた事もある。岡田も地元でずば抜けた才能を持っていた三浦少年を評価しており、ドラフトで指名しなかった阪神球団に対し激怒したという。この縁で2008年にFA宣言した際、阪神から手厚いスカウトを受けるキッカケになった。
演劇集団キャラメルボックス所属の俳優、三浦剛は実弟。アテネオリンピック出場時には、当時キャラメルボックスで上演されていた公演のグッズであるタオルマフラーを使用していたこともある。また自身のラジオ番組に兄弟で共演を果たす。剛はプロ野球の始球式で投げたことがあり、投球フォームは三浦の2段フォームの頃そっくりである。(男3人兄弟の長男で剛は次男)同じく俳優の故・三浦洋一に風貌が似ていると言われることもあるが、こちらは親類関係等はない。
新日本プロレスの蝶野正洋が率いるヒール(悪役)軍団「nWoジャパン」のメンバーとなり、鈴木尚典と共に蝶野の入場に随伴したことがある。また、同じくプロレスラーである橋本真也(故人)とも交遊があった。また魔界倶楽部の星野勘太郎総裁から、魔界18号と命名された。
エイベックス・ネットワークと野球以外の芸能活動に関するマネジメント契約を結んでいる。同会社所属のロックバンド、ロードオブメジャーの2007年2月7日にリリースしたシングル「PLAY THE GAME」のプロモーションビデオに出演。
2007年5月31日の「世界禁煙デー」において禁煙に成功し、タバコ問題に関して前向きな発言をしている著名人として「卒煙表彰」を受けた。
2007年6月9日の千葉ロッテ2回戦(横浜スタジアム)では成瀬善久と投げ合い、6回2死まで無失点の好投で3勝目をあげ、この年公式戦で成瀬に唯一投げ勝った投手となった。援護率の悪さもあってその試合前まで2勝6敗と伸び悩んだものの、その後上述の通り35イニング無失点で、連続イニング無失点の球団記録を更新するなど好調。最終的には負け越したものの11勝13敗と健闘し、自身6度目の2桁勝利を飾った。
2008年12月1日の「IZAゆけ!八木裕」で中日ドラゴンズの荒木雅博が苦手と発言。確かに荒木選手は、対三浦投手には打率七割となっており、原因は全くわからないらしい。
概要
1988年〜1991年、春夏、共に甲子園出場は無く、91年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れる。
1992年、ドラフト6位で大洋(現・横浜)に入団。この年初登板を記録
1993年、9月4日の広島戦で初勝利
1997年、初の二桁勝利(10勝3敗)
1998年、横浜の38年ぶりの優勝、日本一に貢献。
2002年、オフに日本人最長(歴代でも2位)となる2008年までの6年契約を結ぶ。
2004年、アテネ五輪代表としてオリンピックに出場し銅メダルを獲得
2005年、プロ入り14年目にして初のタイトル(最優秀防御率、最多奪三振)獲得。4年ぶりの二桁勝利(12勝9敗)。
2006年、プロ入り通算100勝、1,500奪三振達成。2年連続200イニング投球回達成
2007年、プロ入り通算2000投球回達成
2007年、6月20日〜7月27日、35イニング無失点で連続イニング無失点の球団記録更新。尚、それまでの記録は大洋時代の平松政次の33回1/3
タイトル・表彰・記録
最優秀防御率:1回(2005年)
最多奪三振:1回(2005年)
最高勝率(表彰対象ではない):1回(1997年)
最多完封勝利(表彰対象ではない):3回(2005年 - 2007年)
月間MVP:3回(2000年8月、2005年8月、2007年7月)
優秀JCB・MEP賞:1回(2005年)
1000投球回(1992年10月7日 - 2000年9月10日)
1000奪三振(1992年10月7日〜2002年6月6日)
オールスターゲーム出場:3回(2002年、2004年、2006年)
オールスターゲーム優秀選手賞:2回(2002年第1戦・2006年第1戦)
オールスターゲームSANYO賞:1回(2006年第1戦)
通算100勝:2006年5月9日
通算1500奪三振:2006年6月18日、対西武戦で和田一浩から
2000投球回(1992年10月7日〜2007年3月30日)
第9回ゴールデンスピリット賞(2007年度)
背番号
46(1992年 - 1997年)
18(1998年 - )
オフタイム
球界でも屈指のプロレス好きとして知られ、チームメイトの鈴木尚典と共に、新日本プロレス・蝶野正洋の友人である。また、橋本真也と深く交流があり、橋本が40歳の若さで亡くなった2日後の2005年7月13日の広島戦の際に、登場曲を橋本の入場曲「爆勝宣言」に代えて登板(通常、入場曲は初回のみ流れるが、広島の了承を得た上で毎回流した)。無四球10奪三振と目覚しい投球内容で3年ぶりの完封勝利を飾り、お立ち台で涙ぐみながら橋本への想いを語った。
矢沢永吉のファンとしても知られる。
シーズンオフにテレビ出演する際、イメージにあわせてBGMには「ツッパリ系」の曲をリクエストすることが多い。
野球選手が老人・身障者ホームの慰問や小学校への訪問を行うことは珍しくないが、三浦は野球選手である自分が、地元に対して貢献できる事が何であるかを人一倍よく理解しており、そういった活動に特に率先的である。こうした社会貢献活動が評価され、第9回ゴールデンスピリット賞を授与されることとなった。
関西ローカルの痛快!明石家電視台(毎日放送)にほぼ毎年ゲスト出演しており、三浦と何らかのかかわりのあるプロ野球選手と共に出演する。
2006年 小笠原道大(日本ハム・アテネ五輪でチームメイト)
2007年 門倉健(巨人・前年まで横浜でチームメイト)
2008年 関本賢太郎(阪神・同じ奈良県橿原市出身)
著書
横浜ベイスターズ三浦大輔の心・技・体(ベースボール・マガジン社) 2006年・11月 ISBN 4-583-61424-1
打てるもんなら打ってみろ!(ロングセラーズ) 2008年・6月 ISBN 4-8454-2119-4
以上、ウィキペディアより抜粋。


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