2009-01-14
渡辺喜美
渡辺 喜美(わたなべ よしみ、男性、1952年3月17日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(4期)。自民党内では無派閥(かつては江藤・亀井派に所属)。内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任。栃木県出身。実父は、厚生相、農林相、蔵相、通産相、自民党政務調査会長、外相、副総理などを歴任し、自由民主党総裁候補だった渡辺美智雄。
略歴
栃木県立大田原高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部卒業後、中央大学法学部に学士入学し卒業。1983年に父の秘書となる。父が第2次中曽根内閣再改造内閣の通産大臣、宮沢内閣の外務大臣に就任した際は、それぞれ大臣政務秘書官となり父を支えた。
1995年9月15日、 実父美智雄が死去し、地盤を継承。 1996年10月20日、 第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で栃木3区から立候補し初当選。 2000年11月20日、 加藤の乱勃発。加藤の乱に同調するため、所属していた江藤・亀井派を退会し、以来無派閥を通している。
父親譲りの風貌と、歯に衣着せぬ語り口で党執行部を批判することもしばしばある。派閥脱会以来、政界では一匹狼的存在と目されることが多い。
経済政策、特に金融、財政分野では持論を持ち、1990年代後半の金融危機においては「政策新人類」の一人として注目されるようになった。
2001年3月18日、 郡山市において石原伸晃・塩崎恭久・根本匠と共に「四騎の会」を立ち上げ、全国紙に報道されたことから、野中広務元幹事長や古賀誠幹事長たち党幹部から「一体何をやる気だ!」と警戒された。
2006年12月28日、 安倍晋三内閣において、辞任した佐田玄一郎の後任として、 内閣府副大臣から内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に昇格。同時に特命事項として国・地方行政改革、公務員制度改革、地域活性化、および道州制の担当も引き継いだ。大臣としては公務員制度改革を最大の課題と位置づけ、公務員の再就職を一元的に管理する「人材バンク」や「中央省庁幹部の1割の公募制」導入を提案した。
2007年8月27日、 安倍晋三改造内閣において内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任。担当事務は規制改革から金融に移ったが、国・地方行政改革と公務員制度改革の特命事項を引き続き担当することとなった。天下りの規制をしようとしたものの自民党内の多数派により、結局本人の思うところとはまったく別物の【天下り規正法】を通すことになってしまった。
2007年9月26日、 福田康夫内閣の閣僚人事において、1ヶ月前に就任したばかりの多くの閣僚が再任されることが見込まれていたが、渡辺大臣に関しては安倍色が強く半年以上閣僚経験をしていたため、別の人物を起用することで福田色を出すことが予想され再任の目が薄かった。渡辺自身も組閣前の大臣会見で「たぶん、私は留任しない方の組に入っていると思います(中略)。政治家の直感です。理由はありません。」と述べていた。しかし、渡辺は再任され、行政改革(国・地方行政改革から改名)および公務員制度改革の特命事項も引き続き担当することとなった。この再任には渡辺も会見で「政治家の直感が見事に外れました」と苦笑いした。なお、父美智雄も厚生大臣として福田赳夫内閣に閣僚入りしている。
2008年8月1日、福田康夫内閣改造内閣の発足に伴い退任。
2008年12月24日、民主党提出の衆議院解散要求決議案に与党としてただ1人賛成し、党議拘束に造反した。これについて古賀誠選対委員長や菅義偉選対副委員長は「麻生不信任に賛成したということだ」「最も重いけじめをつけてもらう」と除名をちらつかせたが、自民党執行部は渡辺を戒告処分とした。これに対し26日に開催された全国幹事長・政調会長会議の前後に処分の甘さを批判する声があがった。
その後も早期の衆議院解散総選挙の実施要求や定額給付金の中止を訴えるなど政権批判を繰り返し、2009年1月4日、「思いが伝わらないなら覚悟がある」「自民党を離党してでも国民運動を起こす」と発言し、離党する意思があることを後援会などで表明した[5]。
その後、1月9日に首相官邸を訪ね、麻生首相宛の公開質問状を提出しようとした。質問状で渡辺氏は「8日の衆議院予算委員会の首相答弁は国家公務員の天下りの渡り斡旋を容認した」と批判。その上で、渡り斡旋を全面禁止するのか、渡りを一部容認する「職員の退職管理に関する政令」を撤回・修正するのか、の2点について速やかな回答を求めた。しかし、応対した村松一郎秘書官は「国会議員が首相に質問されるのは国会の場だと承知しており、お預かりできません。お引き取り願いたい」と受け取りを拒否した。
そして1月12日に自民党からの離党を表明、13日離党届を提出、受理された。
人物
身長164cm、体重80kg、血液型O型。
愛称はヨッシー(父・美智雄に風貌が似ていることから、父の愛称であるミッチーと呼ばれることもある)。
その他
消費者金融(サラ金)など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えている[7] 。
議員就任以前、リクルート事件で5000株を受け取っており、父美智雄が「せがれがもらった5000株のせいで総理大臣がパーになっちゃたよ。」と自虐気味に話していた。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
かつて父が所属していた青嵐会を復活させようという趣旨の発言をしたことがある。
著書
『反資産デフレの政治経済学-戦略型資本主義を構築するために-』東洋経済新報社 、2001年3月
『日本起死回生トータルプラン』光文社、2001年6月 (石原伸晃、塩崎恭久、根本匠との共著)
『日本はまだまだ捨てたものじゃない-ニッポン経済最強の法則-』徳間書店、2001年7月
『シナリオ 日本経済と財政の再生』日刊工業新聞社、2001年7月 (伊吹文明との共著)
以上、ウィキペディアより抜粋。


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