2009-11-11
篠山紀信
篠山紀信さん。東京都内の屋外で誰でも見ることができる状態でモデル女優の裸を撮影した公然わいせつ罪の疑いで事務所の家宅捜索を受けている。
「公然わいせつ罪」とはなにか?。
『刑法第174条(公然わいせつ)
公然とわいせつな行為をした者は、6ヵ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する』
、とある。
では、「わいせつ」とはなにか?。
ウィキペディアによれば、
『わいせつ(猥褻)とは、事実概念としては、社会通念に照らして性的に逸脱した状態のことをいう。法的概念としてのわいせつとは、判例によれば、「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」と定義される。具体的にわいせつとみなされる人体の部分は、陰部、陰毛、肛門である。わいせつ性を帯びた物のことを「わいせつ物」、わいせつ性を帯びた行為を「わいせつ行為」という』
、とある。
また、
『わいせつ(猥褻)という概念は、法的に定義された概念であるものの、時代と場所を超越した固定的な概念ではない[1]。何がわいせつであるか否かは、その時代、社会、文化に対応した一般人の性に関する規範意識を根底に置きながら、社会通念によって具体的に判断されるものである』
とも。
社会通念とはなにか?。これまたウィキペディアによれば、
『社会通念(しゃかいつうねん)とは、人間社会の「暗黙の了解事項」の一つ。 法律のように明文化されていない。常識も明文化されない暗黙の了解事項だが、常識が強制力を伴うのに対し、社会通念は強制力を伴わない。 強制力を伴う常識が、時代により社会により異なることを考えると、社会通念は時代の雰囲気だけで変動すると考えていいだろう』
という。
いまどき、渋谷や六本木を歩いているイケイケの女性はどうなるのだろう?。公然わいせつにはならないのだろうか?。
わたしのらくがきも女性の胸元まで描いてしまうことが多いが、それもわいせつなのだろうか?。
「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」のは、なにも、陰部、陰毛、肛門だけではあるまい。まして肛門などは医療の範疇だ。仮に他人の肛門を見たとして、多くの人が性欲を刺激されるかというと、そうではないと思う。
では、なぜ篠山さんは家宅捜索を受けたのだろうか?。
誰かを怒らせたのだろうか?。
それが何なのかは今はわからないし、今後もわかることはないのかもしれない。
だが、いつもオーケイなのに今回だけアウト、というのにはどうしても違和感が残る。
もちろん、テレビの報道やネットの記事を読んだだけなので事実はどうなのかわからない。
ただ、ことの唐突さから考えると、やはりおかしいのではないかと思う。
加納天明さんだったら話は別かもしれない(笑)。
話は逸れるが、加納さんは加納さんでものすごい才能だ。
写真というのは、その機械を使えば誰でも撮れてしまうものだ。
それなのに、彼らの作品は人に大きな感情的な影響を与える。
写真家の写真家たる所以であるといえよう。
篠山さん、負けるな頑張れ・・・。
以下、篠山さんに関する、これまたウィキの記事。
〜★〜★〜★〜
篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・-みちのぶ、1940年12月3日 -)は、東京市淀橋区柏木(現在の東京都新宿区北新宿)出身の写真家。
経歴
真言宗円照寺の住職の次男。新宿区立淀橋第四小学校を経て、私立芝中学校・高等学校に入学。 中学2年生の時、落語家に入門。最高の名人として知られる桂文楽 (8代目)(落語協会会長)の孫弟子となる。
日本大学藝術学部写真学科及び東京綜合写真専門学校を卒業。写真家沢渡朔と同期。
モデルと離婚後、アイドル歌手の南沙織(本名=篠山明美)と再婚。俳優の篠山輝信は次男。
在学中より新進写真家として頭角を現し、1961年にライトパブリシティに就職。APA賞等数々の賞を受賞。華々しいデビューを飾る。初期の作品には『Death Valley』『Twins』『Nude』など傑作が多い。ジョン・レノンのラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影は篠山の作品である。
その作品数の多さ、ジャンルの多様さはヌードから歌舞伎まで他の写真家を遥かに凌ぐ。1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語になり[1]、その後の松田聖子ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られるようになる。1978年に写真集『大激写 135人の女ともだち』がベストセラーになったことを契機として、1980年には篠山をメインにした写真雑誌『写楽』が創刊された[2]。
赤塚不二夫の天才バカボンでは本人をモデルにしたカメラ小僧篠山紀信君として登場し、つむじ風を巻き起こしながらどこにでも現れて、決定的瞬間をとる人物とされている。。
1978年から1997年にかけては『週刊朝日』の表紙写真を撮影。1980年に始まった『週刊朝日』表紙の女子大生シリーズからは、何人もの女優や女子アナウンサーを輩出している[3]。その他にも『週刊現代』の表紙写真や、月刊テレビ情報誌『B.L.T.』の表紙、及び巻頭グラビアを毎号担当。『B.L.T.』では被写体のヌードはないが、寝そべって、胸の谷間を見せるポーズなどほかの雑誌よりは露出度が高いグラビアを撮影している。
デジタルカメラを用いて撮影した場合は、「シノヤマキシン」(2000年頃)「しのやまきしん」「digi_KISHIN」(2003年頃)と言う別名義を使用する時もある。時代の節目で、いつの時代も最良の時間と場所でカメラを構えている。
女性を被写体とした多数のヌード写真を撮影している。1969年にカメラマンの沢渡朔、林宏樹らと全日本恥毛露出連盟ことゼンチロレンを結成して会長に就任。[4]1991年には女優の樋口可南子をモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」で事実上、陰毛を解禁させ、続けて同年に出版した当時トップアイドルだった宮沢りえのヌード写真集「Santa Fe」は新聞に出した全面広告が評判を呼び、ヘアヌードブームを巻き起こした。「Santa Fe」はその年のベストセラー7位、「Water Fruit 不測の事態」は10位の記録を残している。[5]
撮影したヌード写真については、女性の事務所サイドから写真の使用を止められた場合ネガを持ち帰り、自宅で保管する。後にその女性が、芸能界で所謂「落ち目」になったときに、秘蔵ヌードが見つかったことにして『今のヌード』と『昔のネガ』を持ち出し、その二つを一冊の写真集にして発売することがある(例:水沢アキ、杉田かおる)。 他人には脱ぐことを求めるが自分の妻南沙織のヌードは発表していない。
篠山の企画はたいていの場合、スマートであるとともに、ヒットし(一般受けし)、絶大な人気を誇るため(ただし、写真作品1枚1枚の良し悪しによるというよりは、その企画(発想)自体が世の中に受けているという面は否定できない)、同業者や熱心な写真愛好家の中には反感を抱く者もいるようである。
話題性のみを追求しているともとれるその作品制作の姿勢は、写真評論家や写真批評家による評価を気にしないようでもあり、そのことから、日本写真史における篠山の位置づけは固定していないようである。
常に「今」を感じ、時代と共に表現が変わり続けるという自己のスタイルに対する軽妙さ(時代の複写)の写真家である。定義付ける事が困難なのは、写真における大衆性がしばしば批判的に捉えられる日本の慣習によるものである。商業的なイメージのある反面、自身が落語家であるということから三遊亭圓生 (6代目)を長年撮り続けた。また歌舞伎にも手を広げ、5代目坂東玉三郎を30年以上撮り続け、文化的側面で非常に貴重な写真も数多く残している。近年は彼のみならず、17代目中村勘三郎や歌舞伎界の花形を撮り続けている。
なお、自決直前の三島由紀夫を被写体とした写真集(『男の死』)は、当初公表される予定であったが、1970年の三島の自決事件の影響に加え、同じく被写体となっていた横尾忠則の反対により、未だ正式な刊行には至っていない。
また、日芸在学中に知り合った、アート・ディレクターの鶴本正三とは多くの仕事をともにし、1972年の写真集「オレレ・オララ」、1975年から「GORO」ではじまった「激写」、1977年の写真集「カメラ小僧の世界旅行」等のアート・ディレクションは鶴本が担当している。
2009年11月10日には1月31日に発売された写真集『20XX TOKYO』での、東京都内の屋外で誰でも見ることができる状態でモデル女優の裸を撮影した公然わいせつ罪の疑いで事務所の家宅捜索を受けている。ただし写真集自体のわいせつ性は問われていない[6]。


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